我が人生に思いを馳せ ~ 映画「えんとつ町のプペル」鑑賞

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約2ヶ月ぶりのブログがまたまた、アニメネタ。

けっしてアニメオタクというわけでは・・・

年間数える程しか映画館に出向かないのに

話題作を中心に出向いた結果、

偶然アニメの連続になっただけの話です。

 

【鬼滅の刃】を見たときの予告映像に

迫力があり映画館で見るべき作品だと

思っていたこともあり

滅多に封切り初日に行かないけど、これは

舞台挨拶が映画館で中継される回に出向きました。

 

それが、映画「えんとつ町のプペル」です。

絵本はずいぶん以前に読んではいましたが

はたして絵本がアニメになったら?と疑っていました・・・

映画全般の評価は他の方に譲るとします。

 

【インディジョーンズ魔宮の伝説】を思い出すシーンは

おっさんならではでしょうか?

 

夢を持てば笑われて 声を上げれば叩かれる

エンディングでも流れる

♩ 夢を持てば笑われて 声を上げれば叩かれる

ふと、私自身の体験でも思い起こすことがありました。

 

~~ 時計の針をうんと戻します ~~

 

20数年前、私は誰もが知る大企業に勤めていました。

福利厚生も世間からすると羨まれるレベル。

 

だた内情は、今から思い起こすと超ブラック級

日を跨いでの残業

 なのに、上司の顔色伺って月30時間までしか申請しない

 みなし残業かと思われるくらいの、サービス残業の嵐

同じ部門の一年先輩が、私が入社前に社内で自殺

 これも無かったかのような毎日の繰り返し

その部門トップが社内で浴びせる罵声

結論でない意味のない会議のオンパレード。

 その資料作成と報告書作成に追われ、本業が疎かに

休日も会社構内には、「運動しに来た(形で)」入り放題、人事も見て見ぬふり

 本業の遅れを取り戻す時間

 

そんな、お盆休みの時です。

(長期休みはしっかり取れました)

毎日の業務に疲れきった身体を違った空気に触れさせたく、

関西空港開港とともに飛び始めた路線でベトナムはホーチミンシティへ。

 

当時、東南アジアの旅行先はタイ、シンガポールが一般的でした。

日本からベトナムへの直行便も、今とは違い

関空 ー ホーチミンシティ線が

JALとの共同運行でたった週3便くらいだけ。

成田からですら、直行便がなかった時代です。

 

ベトナムへ行くと知った会社の上司からは、

「そんな危ないところ行って大丈夫か?」

と、20年前に終結したベトナム戦争で時計を止めた【形だけの】心配をされました。

もちろんその上司は、ベトナムに行ったことも興味もありません。

うわべだけの言葉であることが、何かあった時の自らの保身が透けて見えました。

 

なぜベトナムだったのか

きっかけは、学生時代に訪れたアメリカにありました。

お金が無かったので、格安航空券でロスへ

アメリカ国内ではグレイハウンド(アメリカ閣内を網羅する長距離バス)で

移動していました。

真っ暗な砂漠地帯に、ラスベガスの街ボワっと光って見えた時は感動すら覚えたものです。

 

丸一日グレイハウンドで移動しても、地図上ではたったこれぽっち!

航空機移動では感じることができないほどの、広大な国土を肌身に感じました。

 

加えて

NHKスペシャル「映像の世紀」

エラー - NHK

 

9集「ベトナムの衝撃」 19951216日放送

“自由と正義の国”アメリカの神話を崩壊させたベトナム戦争。テレビによって茶の間に本格的に伝えられた戦争の実像を描く。

を見たこともあります。

 

ベトナムって

あれだけ広大な国を唯一負かした国なんだなぁ・・・

どんな人たちなんだろうか?

 

と、インターネットが普及していない時代

その後はベトナムと名のつくテレビ番組のチェック

書籍は片っ端から購入、図書館で借りたりしていました。

 

そんな中訪れたベトナムで、屈託のない笑顔にやられ(あくまで当時は)

移住までして、今までベトナムと腐れ縁!!

になった自分がここにいたりするのですが・・・

その未来への一歩を自ら切り開くかどうか

♩ 夢を持てば笑われて 声を上げれば叩かれる

 

退職当時は、日系企業の進出といえは、中国、タイ、マレーシア、インドネシアの時代。

ましてやアジア通貨危機も起こっており進出企業の撤退が相次いでいました。

誰一人として、会社で応援してくれる人はいませんでした。

ベトナム移住で退職の時などは

上司から

「この会社にいたからこそ、銀行から簡単に資金融資してもらえた」

送別会の時、同僚から私に聞こえない小声で

「こんな良い会社辞めるなんて(何考えてるんだ)」

と主体性なく世間体ばかり気にする根拠のない同調圧力を受ました。

今に続く社会の縮図です。

GAFAMのようなイノベーションが日本で起こらない一因も

ここにあるような気がしています。

もし、そのまま大手企業に勤め続けていたら

今頃どうなっていたでしょか?

 

メリット

・高給与 (それと相反する形で支出も増えるが)

・福利厚生の充実

 社内預金の利率ヤバかった(今どうなっているかは?)

 

デメリット

Noと言えない転勤

 家建てたら足元見られ、転勤が頻発

・再就職はごく一部を除き不可能

 その社内のごく一部しか使えないスキルしかない可能性高く

 いざリストラとなったら再就職は難しいだろう。

 私も採用する側だったら大手企業の温室育ちは採用しないです。

 

行動を起こしていなければ、今後悔しているはずですし

ただただ人間味のない会社生活を続けていたのか・・・

はたまたリストラで路頭に迷っていたか・・・

 

一方で日本の良さも見つめ直す期間でもありました。

この時の退職はその後の人生において正解だったし、

今もって微塵も後悔していません。

 

動き出さなきゃ、始まらない。

映画「えんとつ町のプペル」は

子供達には純粋なアニメとして見られるかもしれませんが

キンコン西野さんの社会から非難された時期を重ね合わせると・・・

その心の声である、立川志の輔師匠の口上に泣かされました。

 

同等圧力が未だ強い日本

外の世界を見させない大企業

そこでもがき苦しんでいた自分

 

西野さんは言います

「夢追い人は総じてゴミ人間」

 

まさに、ゴミ人間

映画の途中からは、人生を投影する自分自身がいました。

 

エンドロールに全てが詰まっていました。

 

エンドロールで立つ人もおらず

「おしまい」

の文字を見て後観客からは拍手👏

 

コロナ禍で今年頑張った皆さんに

ぜひ見てもらいたいです。

アニメと侮ることなかれ・・・大人の映画です。

 

西野さんも言ってます。

「僕も頑張ります。

あなたも頑張って。」

 

私も新たな挑戦します!

 

♩ 明日が見えなくても

 ゆこう 嵐の海を越えて光の世界へ

 

『映画 えんとつ町のプペル』エンドロール プペルができるまで展Ver.

https://youtu.be/VB2IUNQioc8

 

ベトナムからの帰国直後

2週間自主隔離に使って以来の

APA HOTELにて

(この狭さ、なんだか懐かしい)

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